こんにちは!
この記事では僕自身がどうやってトレードで勝てるようになっていったか?
順を追って書いていきます。
まずはトレードとの出会いの話で、そこに至るまでの挫折などを書いていきます。
ただ、
成功している人が大きな挫折をして多額の借金を背負い、
家族にも見捨てられて命を絶とうと川に入った時に、川面に移る自分の顔を見てハッとして、
死ぬ気が合ったら何でも出来る!
と改心して寝ずに頑張った結果、成功して今があります。
みたいな話ではありません・・・あしからず。
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目次
FXトレードとの出会い
お金が欲しいなぁ、と思い始めた頃
お金が欲しいなぁとうっすら思い始めたのは確か高校2年生くらいだったと思います。
当時の僕の夢は、子供のような夢ですが、
「お金持ちになりたい!!」
ということでした。
みんながヒーローを目指すような子供のころは本が好きで本屋さんをやりたかったんですが、
大きくなっていくにつれて漠然とお金が欲しいなぁ~と思うようになりました。
高校生の時に一番仲の良かった友達が
「たこ焼き屋をやりたい!あれって実は結構儲かるらしいし、自分で商売をしたいんだよな!!」
と言い出して、それに僕も触発されて何をしたらいいかわからないけど、
お金持ちになりたい!
と思いだしたのはこの頃だったと記憶しています。
大学受験で挫折・・・?
高校の部活も総体が終わり、いよいよ大学受験の時期になって
半年くらいは毎日6時間くらい勉強をしていました。
全然面白くない話ですが、
頭脳的には良くも悪くもなく、普通の進学校で真ん中くらいの順位をいつも取っている、
ものすごい平均的な人間でした。
考え方も平均的で、その辺の普通の大学に行って、
大学に行きながら商売のこととか考えようかな~と思っていました。
やることを先延ばしにするやつですね。
で、いよいよ大学受験の時期に来て、
推薦で受けられる、合格確実だろうと先生も、親も、僕も思っている滑り止めの大学を受けて、
記念に受かったらいいなっていうハードルの高い県外の大学を2つ受けました。
2つのうち1つは直前の模試でD判定で、
「どうかな~、ちょっと厳しいよな~」
というところと、
もう1つは直前の模試でE判定の合格率20%以下で、
「まあ無理でしょ」
というところでした。
2つとも友達に
「一緒にこの大学受けようよ!」
と誘われたところで、まあ本当に受かったらラッキーという感じで受験しました。
ほどなくして、一番最初に通知が来たのが滑り止めの大学でした。
「合否の通知が来たよ~」
直前の模試でもA判定で受かっているであろうところなので、
軽い気持ちで母親に声をかけると、ニコニコしながら僕の部屋までやってきました。
母親もどうやら合格を確信しているらしい感が出ていましたが、
それでも今まで受験戦争らしい受験戦争というものはなく、スイスイ序列的に小中高と来たので、
初めての子供の初めての合否通知にはやはり緊張しているようでした。
さてさて、、、開封しましょうか。
母親が横で覗き込みながらドキドキしながら開封しました。
まあこれはさすがに受かるでしょう。
そんな気持ちで開封しました。
「不合格」
・・・・ん?
「不合格」
うそーーーーーーー!!!
うそだーーーーーーー!!!!
いやいやいや・・・
うそだーーーーーーーーー!!!!!!
僕はそんな感じで受け入れられない感情丸出しでした。
そして母親はというと・・・
横でひっそり泣いていました(笑)
今だから(笑)を付けれますけど、人生終わった感じの雰囲気出してて、
上手くいくレールから大きく外れたような感じだったんでしょう。
一気に年取ったな・・・
取り囲む雰囲気がちびまる子ちゃんの残念なときのやつが母親から出ていました。
ん~・・・、まあ仕方ない。
勉強もそれなりにやったし、しっかり立ち向かっていきましたよ、僕は。
開き直るしかありません。
さあ、浪人するならどこで勉強するか・・・
このまま自宅学習でいくか、それとも予備校に行かせてもらおうか・・・
まあでも、あと2校受けてるし、それが決まってからだな。
と待っていたら・・・
奇跡。
この流れのお約束のように2校とも合格しました。
一緒に受けた友達はランクが下の方だけ受かっててちょっと気まずかったですが、
遠慮なくいい大学の方に進学しました。
大学から新卒社員時代で挫折
大学に進学し、そしてかねてより目的であったお金について、再度興味を持ち始めました。
大学でお金の勉強が出来たらいいな~と思っていて、
母親が税理士事務所に勤めていたのもあって、
お金儲けをしたいならお金の勉強をした方がいいよなと。
それなら税理士になるのがいいんじゃないか?
母親勤めてるし、税理士って儲かりそうだし。
ということで、大学では税理士になるために、まずは簿記から勉強しました。
しかし、当然のように税理士を目指すのは難しく、
普通頭脳の僕では簿記2級を取るところで挫折してしまいました。
今思えばそこであっさり挫折する程度なので、
そんな大した気持ちではなかったなと身に沁みます・・・。
そして体育会系の部活で頑張り、
ありがちな感じで授業もほとんど出ず、単位もギリギリで卒業して、
普通にサラリーマンとなりました。
サラリーマンになったらなったで欲が出て、
その会社で社長になるのも手だな・・・!
と思って、当時その会社が経営拡大で大きくしようとしていたところでした。
そして幹部候補生ということで迎え入れていただき、
必死に営業員としての職務をこなしました。
結果、新人社員では営業実績1位!!
全体の営業員でも約40人中8位と新人ながらまあまあの成績を出すようになっていきました。
しかし、その仕事を続けていくうちに、
「このまま営業をやってても社長になれそうにないし、営業を頑張ったところで給料もたかがしれてるよなぁ・・・」
と思うようになりました。
営業の先輩社員を見ても大きく出世している感じもないし、
家族持ちの先輩の生活はまあまあカツカツそうで市営住宅に住んでいるし、
この先このままいっても面白くないよなと思い、このままダラダラ生きててもな~・・・
と、軽く人生に絶望していました。
そんな時に先輩社員から、僕の転機となったネットワークビジネスのお誘いがありました。
ネットワークビジネスでも挫折・・・
世間一般ではネットワークビジネスと言えばもの凄くイメージが悪くて、
「ねずみ講でしょ・・・」
「違法でしょ・・・」
「強引に洗剤売りつけるやつじゃないの?・・・」
みたいな感じで蔑まされていました。
読んでいる方にもそういう方はいらっしゃると思います。
ちなみに僕は割とイメージが気になるので、
ネットワークビジネスをこのブログで書くのを躊躇いましたが、事実なので仕方ありません(笑)
書くことにしました!
しかし、当時の僕はネットワークビジネスというものを全く知らず、
「こんな仕事が世の中にあったのか・・・!!!」
と、純粋に感動しました。
「これ、みんなやるやつやんか!!」
「あの人も、あの人も、あの人も・・・みんなやったらハッピーになれるやんか!!」
本気でそう思った25歳のころです。
そして家族や友達に声かけまくりました。
本当に全員やるって思ってたんですが、結果はご想像のとおり散々たるもので、
今でも覚えていますが、ちょうど20人目にして会社の後輩がやっと1人
「やってもいいですよ」
と言ってくれました。
1人だけでも入ってくれると気持ちは変わるもので、
モチベーションが上がり、また改めてやろうという気持ちになっていました。
しかし、20人に声かけてやっと1人という、
そんな感じなので結局上手くいかない状態が続きました。
そんな中、その会社がお金を出してくれて参加した自己啓発セミナーがあり、
そこで出会ったNさんに別のネットワークビジネスを誘われて、
本気で僕の成功を願ってくれているというのを感じて、そっちに移りました。
しかし、もう1つ本音があって、
取り組んでいたネットワークビジネスが上手くいかず、
新しいものならこれから流行るかもしれない・・・
上手くいくんじゃないか・・・
という逃げ腰スタンスでした。
それでも割と本気で活動していたと思いますが、
仕事の合間などでも活動をしていたら会社にバレて、
1、会社で営業社員をそのまま続ける?
2、退職してネットワークビジネスを続ける?
という選択を迫られました。
「このまま会社辞めたら次の就職は出来ないようにするよ」
と、上司に優しい口調で脅され、何故そんな権力があるのかわかりませんでしたが、
それでも僕はネットワークビジネスを選択し、
会社を退職して本気でネットワークビジネスをやることになりました。
両親はとても真面目で、高校卒業してからずっと同じ仕事を続けてきたような人で、
「副業なんて・・・」
みたいな人です。
しかし思い切ってそれを両親に知らせると、
父親は何も言えず、
母親は「何てことを・・・」というようなことを言っていた気がします。
それからは毎日のように
「仕事を探して!」
「ノイローゼになる・・・(泣)」
「気になって仕事もまともにできない(悲)」
そんなメールが母親から届くようになりました。
実家には住んでいましたが、直接言い出しづらかったんだと思います。
そんなのが嫌になって僕は実家を出て、
一人暮らしをしている県外の友達の家を転々とするようになりました。
余計心配になったと思いますが、途中で諦めたのかメールも来なくなりました。
そして主に大阪の友人宅を居候して回っていましたが、
本当は迷惑だったと思いますが、
嫌な顔もせずに受け入れてくれたのは本当に今でも感謝でいっぱいです。
ほどなくして資金が底をつき始めて、
活動を続けることはもちろん、ご飯を食べることも厳しい状態になっていきました。
本当にお金がない時はご飯に回すお金がもったいなくて、
ネットワークビジネスの商品を注文すると段ボールが届くんですが、
その段ボールの中に商品が傷つかないよう詰められている発泡スチロールのようなものがあり、
トウモロコシを原料に作られていて食べても害がないということで、
それを食べて凌いでいました。
そんな状況をNさんに話をすると、
・銀行でカーローンでお金を借りると低金利で借りれる
・振込先は車の販売会社が必要なのでNさんが持っていた会社を使っていい
ということで、100万円借りて活動することになりました。
それが結果として、より本気スイッチが入って良かったんだと思いますが、
月20万円くらいですが貰えることが出来るようになりました。
しかし長くは続かず、
ネットワークビジネスの組織を維持するモチベーションが下がったとたん収入も減りました。
そして最悪なことに、
僕が銀行から借りてNさんの会社に振り込まれたはずの100万円のうち60万円しか受け取れず、
あとの40万円は、実はNさんが抱えていた多額の借金返済の一部に充てられていた
ということが発覚しました。
普通の人なら激怒して当たり前だと思いますが、
・大勢の前で話をすること
・いろんなところに連れていってもらったこと(彼女か!)
・多くの人と出会わせてもらったこと
などを考えると感謝の気持ちが出てきて、あまり怒るという感じにはなりませんでした。
ただそれでも、Nさんを信じて続けていくのは難しく、
信頼関係が崩れてもうそのネットワークビジネスを辞めることになりました。
余談ですが、Nさんはその後も活動を続けて、かなりの地位を獲得
その勢いで妻もいましたがネットワークビジネスで出会った女性たちと遊びまくって離婚
明石家さんまがMCをやっていた”恋のから騒ぎ”に最前列で座っていた女性と再婚
多額の借金の返済のため、詐欺的なことにも手を出して信頼を失い、グループは崩壊
借金を抱えながら女性たちと遊んでいることに気づいた妻は気が狂いそうになって再度離婚
そしてほとんど周りに人がいなくなって海外に逃亡した・・・
と聞いています。
壮絶ですね・・・
ビジネスで挫折して・・・
ネットワークビジネスを辞めてからは自宅に住んでいたため、
幸いそこまでお金は必要ではありませんでした。
ですが無収入の状態なので、両親からは無言のプレッシャーがのしかかってきます。
どこにも勤めていないので、自分で稼がなければなりません。
何とかしなければ・・・
そう思っていた時に、
ネットワークビジネスで出会ったIさんと一緒に仕事を始めることになりました。
その仕事は大した収入にはならなかったんですが、
・中古のPC販売
・プリペイド携帯の販売
中古のPCは新聞等の広告欄に出して宣伝し、
プリペイド携帯は今はありませんが、免許不要で使えるため足が付かないということで、
夜系の人たちが住んでいそうなアパート等にチラシをまく
という感じで毎日活動していました。
一緒に仕事をしていたIさんは年上で変わった人で、今までサラリーマンをやったことがなく、
「サラリーマンをするくらいなら収入無くてもいい」
と言っていた人でした。
かなり男前で、昔は結構やんちゃで女遊びも適度にして、
その人はならなかったけど、友人は何人かヤクザになった、というような人でした。
Iさんに出会ったおかげで、
Nさんを脅してもらって戻ってこなかった40万円を取り戻すことが出来ました。
Iさんありがとうございます!
そんなこんなでビジネスをやっていましたが、
やはりそれもそうそう上手くいかず、どうしようかと悩んでいた時に、
ビジネスの師匠でもあり、Nさんの元嫁の兄になるKさんからFXを勧められました。
Nさんとは連絡も取っていませんでしたが、
Kさんとはネットワークビジネスを辞めてからもやり取りは続いていて、
Kさん自身はカフェで成功を収めていた人で、色々と面倒を見てもらっていました。
僕とFXとの出会いはここから始まりました。
・・・続きます!!
面白いです!続きが気になります(笑)
わからない単語がずいぶん出てきます。
20SMA, 20EMA
サポレジの言葉がすぐに理解出来ません。
どこで見たか忘れています。
でもなんだかわかりやすさあを感じますがすぐに理解が可能ではありません。